浄土真宗の教義の中に、「悪人正機」(あくにんしょうき)というものがあります。
これは、悪人こそが阿弥陀仏の本願により救われる、という意味です。
悪人が救われる?善人じゃなくて?
そう思う人がほとんどだと思います。
しかし、「悪人正機」を唱えた親鸞が指した「悪人」とは、私たちが考える「悪いことをする(した)人」とは異なっていました。
ここでいう「悪人」とは衆生、つまり「私たちすべて」のことです。
私たちの人間の基準でどれだけ善人であろうと、また、悪いことをした人であろうと、人間には救いようのない無数の悪(執着や欲望)があります。
私たち人間は、そんな悪に気づかずに生きています。
・私たちの基準でどれだけ善良であろうと、それだけでは極楽浄土へは往生できない。
・自分達があくまで悪人であることを自覚し、阿弥陀仏の本願に全てを委ねることで初めて、我々は救われる。
そう親鸞は説いたのです。
親鸞ほど、自分の内なる「悪」に敏感で正直な人はおよそいないのかもしれません。
人は普段、「自分は悪人であるはずがない」そう思い生きています。
自分の「悪」に気づくことで、人生の見え方が違ってくるかもしれません。
コメント