今回は日々の歩みを一旦止めて、私たち『ブッダのこころ』が依拠する仏教についてみていきましょう。
仏教はもともとブッダの個人的な探求から始まりました。
もともとネパールの小国の王子だったブッダは、何不自由ない恵まれた生活においても生きる上での苦しみがあることに悩み、王子の地位をすて求道の旅に出ます。
ブッダは宗教者に学んだり、苦行を行うことで「苦しみからの解脱」を模索しました。
そしてついに深い瞑想による心身の観察の末、ブッダは苦しみの解消の方法(智慧)に辿り着きます(悟り)。
そしてそのブッダの方法(智慧)をもとに「苦しみからの解脱を実践」する集団として仏教が出来上がります。
そのため、初期の仏教では、何よりも「個々人の苦しみの解消」が目的とされました。
それから数百年の時がたち、新しい仏教ムーブメントが起こります。
それまでの仏教が「個々人」の苦しみからの救済、つまり「智慧」の実践を重視していたのに対し、ブッダの哲学のもう一つの柱である「慈悲」(他人への慈しみ)の重要性を説く宗派が現れます。
そして出来上がったのが、「慈悲」による衆生(世の人々)の救済を目的とする大乗仏教です。大乗という呼び名は、個人救済のこれまでの仏教に対する、「多くの人々のための大きな乗り物」という意味合いがあります。
日本に伝わった仏教はこの大乗仏教だったため、日本人が一般的にイメージする「仏教」は基本的にこの「大乗仏教」です。おそらく多くの日本人にとっての仏教は「葬儀」や「信仰」といった側面のイメージが中心ではないでしょうか。まさにそれが大乗仏教の特色でもあります。
個人の救済においては「難解な理論や困難な修行の実践」が重視されました。一方で、衆生の救済を目指す大乗仏教は、「一般人に伝わりやすく、実践しやすい方法」が求められることになりました。
そこで大乗仏教は念仏や読経による「救済」や、極楽浄土や菩薩といった「物語」を強調し用いました。
衆生の救済(布教)のためには何よりも「わかりやすい方法や物語」が必要だったのです。
それゆえ、大乗仏教が主流である日本においては仏教は信仰のイメージがメインとなり、現代の日本人の仏教観を形作っているのです。
いかがでしょうか。これがおそらく世界一ざっくりした日本人のための仏教史のお話です。
このお話を踏まえた上で、私たち『ブッダのこころ』では、大乗仏教以前の「個人救済に特化した」仏教にある、「苦しみの解消の方法」を活用することを目的に、ブッダの方法の現代へのリバイバル(再構築)を行なっています。
日本人にとって仏教といえば、宗教性や信仰の面がイメージされやすいのですが、こういった背景があることが分かれば、「実は現実的で実践的な仏教の方法」を活用してみたくなるのではないでしょうか。
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