インスタグラムなどのSNSツールにより身近な人の日常がタイムリーに伝わってくるようになりました。
SNSで私生活を発信する人たちは基本的に、自身の生活の良い面ばかりを切り取りがちです。
そのため、そんな人たちが発信する情報を眺めていると、他人のしあわせばかりが目に入り、それと比較した自分の境遇が嫌になってしまう人が少なくないようです。
そして、親しい身近な人たちの幸福な姿を素直に喜べない自分に嫌気がさしてしまい、さらに落ち込むという二重苦に悩まされることになるのだそうです。
SNSは便利さと共にこういった苦しみを私たちに運んできているようです。
「でも、大丈夫です。」
他人のしあわせを自身の境遇と比較してしまい、素直に喜べなかったり、妬んでしまうことは、「人間として当たり前のこと」です。
私たちがそういった感情に自己嫌悪や罪悪感を抱くのは、「道徳」を身につけているためです。
「道徳」は私たちに社会を生きていくためのたくさんの大切なことを教えてくれます。
しかし、その中には「きれい事」や「嘘」も多く存在していることもまた事実です。
それは「道徳」というものが世の中全体をうまく回すための装置のようなものであり、必ずしも個々人の幸福を直接目的としていないためです。
仏教においても他人を慈しみ、喜びを分かち合う「慈悲」はとても大切な概念として扱われます。
しかし、その理想を掲げつつもブッダは「自分のことを誰よりも一番に考えてしまう」という人間のこころの事実を認めてくれます。
私たちは、社会生活をうまく送っていくためにたくさんの「道徳」を身につけています。
それは時にその「理想にそぐわない自分自身」を苦しめてしまうこともあります。
そんな時はブッダの包容力に身を委ねてみてはいかがでしょうか。
「他人のしあわせを心から喜べないのは自分のことが一番大切だから当たり前のこと」。
自分のそんな一面を許してあげられたら、いつかふとした時に、他人のしあわせを自分のことのように喜べる瞬間がきっと現れるはずです。
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