「いじめ」は現代だけでなく人間社会における普遍的な問題です。
一般的に「いじめ」は「道徳的な幼さ、未熟さによる行為」とみなされます。
つまり「いじめ」をしてしまう人はこころが幼い、という認識です。
しかし、本当にそうでしょうか。
「いじめ」は道徳を身につける前の幼児の集団では起こりません。
また、実際には会社や組織といった大人社会の中でも頻繁に起こっています。
このように、実は「道徳的知識の有無」は、「いじめ」には直接関係がないのです。
そのため、逆を言えば、「いじめ」を道徳教育でなくすこともできません。
「いじめ」は「道徳」と「社会性」を身につけた人員から成り立つ「大人社会」でこそ起こるものです。(ここでいう大人社会には小学生高学年あたりの集団も含みます)
では「大人社会」においていったい何が「いじめ」を引き起こすのでしょうか。
仏教ではそれを「慢」という心所(心の構成要素)だとみなします。
「慢」は「自分とその他の存在を区別し、自分を守ろうとする」こころの働きです。
人は自分の存在を守るために
・自分の「味方」を作り、周囲に固める
・自分の「敵」を特定し、排除する
ある集団の中で、構成員全体の「慢」の働きが過剰になったとき、結果として「いじめ」が起こります。
では、なぜ集団の中で「慢」の働きが過剰になるのか。それは
- そもそも「慢」の心所の働きが強い人員で集団が構成されている
- 集団が置かれる環境が人員の「自分」を守るために過酷である
のどちらか、または両方のためです。
1について、現代社会は消費喚起やSNSにより「慢」が煽られやすくなっています。とくにSNSネイティブの世代にとって「自分の存在を守ること」は切迫した問題であるようです。
2について、そんな過剰な「慢」を抱えた人員が、何の整備もされないサバイバル状態の環境に放り込まれれば、それぞれの生存をかけて「いじめ」という保身戦争が自然に起こります。
以上のことより、ある集団、組織の中でいじめを防ぐために有効な手段があるとすれば、
・過剰な「慢」を抱た人員の中でも、サバイバル状態になってしまわないだけの環境を管理的立場にあるものが整備する
ということくらいでしょう。そしてこの「環境の整備」とは、道徳教育などではなく、それぞれの「慢」を和らげる環境づくり、つまり、すべての構成員の「自分」が脅かされずに安心できる居場所づくりのことです。
「慢」という補助線によって明らかになる、このメカニズムを理解しない限り、「いじめ」を防ぐことは難しいようです。
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